制限なし

【優秀賞】『5,000人で食べる。100,000食を作る。』

ドキュメンタリー映画感想文コンクール
【優秀賞】(一般の部)


『5,000人で食べる。100,000食を作る。』 
荒木 ゆうみ


視聴作品「聖者たちの食卓」
https://asiandocs.co.jp/con/46?from_category_id=5




…朝食は、ほとんど食べないで家を飛び出す。職場のそばのスターバックスかドトールでコーヒーとデニッシュ。余裕があれば、モーニング。昼食は、一人が多いけれど、時には仕事仲間と、ランチを食べに出かける。1時間ではそんなにゆっくりできないから、セルフサービスのところが多いかもしれない。コンビニで、サンドイッチかおにぎりとお総菜、なんてことも。そして、一人の夕食。今日は好物のカレーにしようかな。でも、ちゃんと作るにはもう時間が遅いから、スーパーでまとめて買ったレトルトをあっためて、ご飯を解凍しよう…。

子どもの頃の記憶をたどれば、専業主婦の母が夕方になると、しんどそうに夕飯の支度をする姿を思い浮かべる。何か手伝わないと、どんどん不機嫌な声になってゆく。1時間から2時間、キッチンに立ち料理に専念する母。そして5人の家族は「いただきます」から、ものの20分で「ごちそうさま」。料理することに比べて、食べることはいたずらに早い。そんな家族のために夕食を作り、朝早くお弁当を作る。食事や料理には、後片付けという作業だって、もれなくついてくる。時には楽しいこともあるけれど、基本的には、ああ、なんて孤独な重労働なんだろう。石垣りんの詩にある「わたしの前にある鍋とお釜と燃える火と」からついに解放されるなら、それは歓迎すべきことでは?

いま、日本の都会の食生活は、便利で快適になった。もちろん、こんなわたしのような例が、デフォルトだとは思わないけれど、忙しさに押し倒されて、あまり食べることに関心をもたずとも、仕事や勉強をして生きていくことはできてしまう。健康を気にすれば、あらゆる情報や商品であふれかえっている。野菜は人手をかけずに工場で作られ、サラダも切ってあるパックを買ってきて、皿に彩りよく盛れば問題ない。逆に、競うように凝ったお弁当を作ったり、高価な有機栽培の食材や、時短で豪華に見えるレシピをインターネットから拾いあげて、日々、好きなように楽しむことだってできる。食事や料理は、そのくらい「気楽」で「簡単」な日常になった。めでたし、めでたし。

そんなわたしが観た『聖者たちの食卓』は、驚くべき世界がひろがるドキュメンタリーだった。ナレーションもBGMもない。カメラはひたすら淡々と、人々とその時間を写し出す。何かを示唆したり、問題意識に迫ろうとするのではなく、しずかに観る人をそこへ連れて行ってくれるのだ。デリーの北、パンジャーブ州にある、黄金寺院<ハリマンディル・サーヒブ>は、シク教徒にとって最も神聖な寺院。巡礼や旅行、参詣の人々で賑わっている。そしてこの寺院の特徴は、500年前に建立されて以来、カーストに関わらず、あらゆる人を一人の人としてあつかう、無料の食堂、グル・カ・ランガルがあること。美しい白い大理石の回廊と、澄んだ水をたたえた甘露の池をもつ黄金寺院。そのバックヤードの様子が、圧倒的な臨場感で繰り広げられる。

黒光りする大きな丸釜が、いくつも火にかかっている。火力は、プロパンガスと薪。食材はひとつひとつが農民たちの手で収穫され、麻袋を縫い閉じた袋に詰められてやってくる。小中学校の給食、といった規模ではない。一日で10万食が、すべて人の力のみによって作られるのだ。食堂は一度に5千人を収容し、鐘の音とともに何度も回転し、人々が押し寄せる。老若男女がそれぞれに、一皿のカレーをふるまわれる。かなり大ぶりな銀色で鋳物のお皿、コップ、カトラリーが一人一人に手渡され、手際よく2~3種類のカレーが盛られては、焼きたてのチャパタが配られる。どれだけおかわりをしてもよいが、だれ一人、残す人はいない。食べ終わった食器は集められ、多くの人の手によって流れ作業で清められる。食事する場所も敷物も、人々が入場する時に預ける靴までもが、歌いながら作業する人々の手によって、ぴかぴかに磨き上げられていく。それが、この食堂の日常なのだという。

原題は<Himself He cooks>という、シク教の経典の一語だ。神は自らの手で耕し料理し、人々にその恵みを与える。食事は、得るものではなく、貧富を問わぬ恵みそのものなのだ。

わたし達にとって、インドといえば、混沌とした人口の多さ、人々のまとう衣裳のカラフルな美しさ、そしてカレーをイメージし易いだろう。そう、その通りのインドの人々の風景が映し出されている。そして、その一方で、ガンジス川の濁った流れや、裸足で歩く人々の黒い足の裏が物語るように、インドに旅行へ行ったら、必ず最初はお腹をこわすから…とは常識で、衛生的ではないのではないか、という怖れのイメージもあるだろう。もちろん、それもその通りのインドだ。しかし『聖者たちの食卓』を観てしまったら、この無料食堂へ行きたい。そこで、5,000人のひとりになって、あのカレーを食べさせていただきたい。そのことばかりを考えてしまう。じつは、人々がおいしそうにカレーを食べる映画ではない。むしろ、食事するところを撮影するのは失礼だ、という気遣いさえ感じる。惰性や苦役の労働をするのではなく、澄んだ瞳で、食材を刻み、焼き、煮炊きし、運ぶ。そんな人々の手と姿が、いつまでも脳裏から離れない。

ファーストフードやファミレスで、「ああ、らくちん」と一人で食事をするとき、味わっておなかを満たす以外、なるべく何にも関心を持たないふりをしている自分に気がつく。それは、何ともつながらない食事だ。ほんとうの食事は、だれかの手につながっているということに想いを馳せて、満ちることなのかもしれない。
公開日: 2019年03月10日 18:55