労働の大地全2本

「何のために働くのか」 問われているのは、私たちの労働観

「何のために働くのか」。その問いに、答えを見いだせない人が増えています。「14歳からの哲学」(池田晶子著)には、こう書かれています。「生きるためには食べなければならない、食べるためには稼がなければならない、そのためには仕事をしなければならない、この「しなければ」の繰り返しが、大人の言うところの「生活」だ。しなければならなくてする生活、生きなければならなくて生きる人生なんかが、どうして楽しいものであるだろう。」

労働の価値は、本当に「収入のため」なのか?

現代の日本人の労働観は、「収入のために働く」というものが主流ではないでしょうか。「働いて収入を得て、自らの生活を支え、欲求を満たす」という価値観です。しかしながら、じつは日本の労働観は、近代まで大きく異なりました。神道、儒教、仏教の宗教的な思想の影響のもと、働くことは、「生命を恵んでくれた天に報いるための手段」だと考えられてきたのです。労働による富の追求は望ましいものではありませんでした。資本主義のアメリカでも、かつては、「善の追求」こそが労働の価値とされてきたのです。

手にした利益によって人間をランク付けする社会

富の追求が目的となってしまった社会は、人々が仕事を通じて利益を得るために、必要以上に消費を促す必要が生じます。そして多くの人々の手を介して、売りものをつくる過程で、より多くの利益を得るために、そのしわ寄せが労働に関わる人々を苦しめます。そこには富を得るものと得られない者の格差が生じます。さらに、利益を生み出す能力がある者と、そうでない者の格差が、人間の価値をランク付けします。その束縛から逃れられなくなってしまった社会では、「何のために働くのか」という問いに、絶望的な答えしか見いだせなくなります。

働く意味を考えることは、死生観につながる

人間は、生まれてから、家族や周囲の人々に支えられて生きています。たった一人だけでは生きてはいけません。互いに支えあうのが社会です。そして人間は年老いて死んでいきます。働く意味を考えることは、つまり「やがて必ず死なねばならないのに、なぜ生きるのか」という死生観にもつながってくるのです。

働く、それは生きること。特集「労働の大地」では、私たちの労働観をみつめなおす機会をつくるドキュメンタリー映画、2作品をお届けします。

 
0
ログインするとコメントをすることができます