オウム真理教と日本全2本

オウム事件 死刑執行から1年

オウム真理教による一連の事件で、首謀者とされる麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚を含む教団幹部13人の刑は、昨年7月6日と26日に執行され、1年が経ちました。すでに事件を知らない世代が大人になり、社会からはオウムの記憶が薄れつつあります。しかし、事件後のオウム真理教を内側から取材した「A」、「A2完全版」という2つのドキュメンタリー映画は、公開後約20年を経ても風化することなく、むしろ俯瞰的に社会を見る重要な足がかりとして、存在価値を高めています。

「現実」は善悪だけで割り切ることはできない

日本を震撼させた地下鉄サリン事件をはじめ一連の事件は、決して許されるものではなく、教団や犯行に加担した信者らは、その罪を免れることはできません。一方、当然ながらすべての信者たちが凶悪な犯罪者というわけではなく、ひとりの人間として誠実で善良な人々もいることが、カメラを通して自然に伝わります。「現実」は、善悪だけで割り切ることなどできないのです。

マスコミ報道は「正常なこちら側」と「異常な向こう側」

事件後の教団に対する弾圧は、異常なまでに熱を帯びました。そんな風潮をあおり立てるテレビや新聞などのマスコミ報道は、常に「正常なこちら側」と「異常な向こう側」という決まった構図からしか教団の姿を伝えられませんでした。しかし、「A」、「A2完全版」では、オウム真理教の内部で、信者のありのままの日常にカメラを向け、リアルな生活実態を映し出しながら、正義でも悪でもない「現実」そのものを、私たちに突きつけたのです。

宗教について、語ることをタブーとする社会であってはならない

映画では「異常な向こう側」とされてきた信者たちが、むしろ「正常なこちら側」のように見える場面がいくつも登場します。異質なものを排除しようとする日本社会の同調圧力は、現代の風潮にも通じる、一種の「狂気」にさえ見えます。さらに、この映画には、信者たちの生々しい証言から宗教の危険性を感じさせる場面もあります。それは、じつに自然な言葉であるからこそ、事件の真相に近づくための大きな手掛かりともいえます。「異常な向こう側」という偏見ではなく、互いに受け入れ、理解しようとする意思があってこそ、見えてくるものがあるのです。だからこそ、宗教について語ることをタブーとする社会であってはならないのです。

特集「オウム真理教と日本」では、テレビ報道とは異なるドキュメンタリー映画の意義と、あらためてオウムと日本社会の実像に迫ります。

 
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