スリランカの傷跡全3本

タミル人とシンハラ人の対立による内戦勃発

1983年から2009年まで、スリランカでは深刻な民族対立による内戦が行われ、多くの人々が犠牲になりました。スリランカでは、すべての国民のうちの7割がシンハラ人で、2割弱をタミル人が占めており、両者の対立が内戦を引き起こしました。2つの民族は、古くから混住してきましたが、イギリスの植民地支配下でタミル人を重用する分割統治政策が行われ、その反動として独立後にシンハラ人の優遇政策が行われたことから、民族間での対立が高まったのです。こうした対立が深まる中で、1975年に武力によってスリランカからの分離独立を目指すタミル人の武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ」が結成されテロ活動が相次ぎ、内戦へと突入していきました。

繰り返される虐殺の応酬

1983年、「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)が、スリランカ最北端のジャフナで政府軍を攻撃し、13人を殺害したことで内戦が始まりました。これに対して首都コロンボでは、反タミル人暴動が起き、シンハラ人によるタミル人への虐殺行為が市内各地で頻発します。タミル人は北へと逃れましたが、民族間で虐殺の応酬が繰り返されました。インドの仲介による和平交渉が行われるも失敗。LTTEは、1991年にインドの元首相、1993年にスリランカの大統領を暗殺し、内戦は泥沼化していきました。スリランカは2004年に、スマトラ沖地震による壊滅的な津波被害を受けますが、それでも内戦をやめることはできませんでした。

戦争犯罪と人権侵害がもたらした悲しみと憎悪

内戦は、第4次イーラム戦争まで停戦と戦闘を繰り返しますが、政府軍が中華人民共和国やパキスタンから資金面・軍事面で大規模な支援を受け、激しい抵抗を続けるLTTEを次第に追い詰めていきます。そして2009年、LTTEは、20万人ものタミル人避難民を「人間の盾」としながら抗戦を続けますが、政府軍に制圧され、26年にわたった内戦が集結します。しかし戦後も、レイプ、性的虐待、拷問など、スリランカ政府・軍・警察などによるタミル系住民の迫害は依然として続き、国際社会が問題視してきました。スリランカでは内戦による戦争犯罪が政府軍とLTTEの双方で行われ、内戦終結後のスリランカ社会にも、深い傷跡を残しているのです。

今回の特集では、こうしたスリランカ社会の民族対立について考える3作品をお届けします。


 
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