インドネシア大虐殺全2本

インドネシアの深い闇に果敢に挑んだドキュメンタリー 

アジアの歴史を振り返ると、そこにはあまりに多くの「虐殺」が歴史に刻まれていると、あらためて実感します。なかでも100万人という犠牲者の規模や、警察や軍隊ではなく普通の市民や村人たちによって虐殺が行われたというこの大事件は、今なおインドネシア社会の深い闇とされています。

アジアンドキュメンタリーズでは、長年タブーとされてきた「インドネシア大虐殺」に果敢に斬り込み、全世界に衝撃を与えたドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング《オリジナル全長版》」と「ルック・オブ・サイレンス」を配信し、あらためてドキュメンタリーの果たす役割や価値を実感していただきたいと考えています。 
 

なぜ大虐殺が起きたのか?

1965年9月30日深夜(10月1日未明)、インドネシアの初代大統領スカルノの親衛隊が、7人の陸軍将軍を襲撃し6人を殺害した事件が虐殺のきっかけをつくりました。この騒乱を鎮圧したスハルト少将(後の第二代大統領)は、事件の背後にインドネシア共産党が関与しているとし、共産党への攻撃をはじめたのです。

インドネシア共産党は、当時300万人の党員を擁する大勢力で、スカルノ政権の運営にも関わる公党でした。スカルノ大統領は新興国、第三世界の盟主として、民族主義を掲げ、反新植民地主義の立場から、イギリスをはじめ欧米諸国と距離をとり、中国など共産圏の国々と接近するなど左傾化していました。東南アジアで共産主義勢力の拡大に懸念を抱いたアメリカが事件に関与したとする説もあります。

そして1965年10月末から1967年頃まで、インドネシア各地で虐殺が行われます。共産党の関連施設の襲撃、焼き討ち、党関係者の逮捕、そして殺害、さらに共産主義者と見なされるだけで尋問され、殺害される事態にエスカレートしていきます。政府は、「共産主義者は残虐だ」「神を崇めない」「不道徳で性的にも乱れている」といったプロパガンダを実施し、共産主義者の排斥を煽ったのです。 

 

殺戮集団プレマンによる恐怖支配 

インドネシアの住民組織は、かつて日本統治時代の「隣組」制度が受け継がれていました。そうした自警団的な役割が、住民同士での「共産主義者」探しを助長したという見方もあります。そして実際に殺戮に手を染めたのが、日本の暴力団に似た組織である「プレマン」というヤクザたちでした。彼らは権力者と通じながら、残虐な殺害方法で一方的に共産主義者と見立てた人々を次々に連行・殺害し、住民を恐怖に陥れることで街を意のまに支配したのです。 

 

虐殺を奨励した政府 黙認した国際社会 

そうした事態をインドネシア政府や軍や警察は奨励、支援したともいわれ、また共産党勢力の排除を望んだ日本を含む西側諸国も、これを黙認。さらには、各国のメディアや国際世論を反スカルノへと導こうとしたのです。 

 

インドネシア社会を激しく揺さぶったドキュメンタリー 

映画「アクト・オブ・キリング」と「ルック・オブ・サイレンス」は、インドネシア社会に大きな揺さぶりをかけました。全世界50以上の映画祭で受賞するなど高い評価を受け、ようやく世界の人々が驚愕の大事件を知ることになったのです。しかしインドネシア政府は、謝罪はおろか、大虐殺の真相解明に動くこともありませんでした。 

 

今なお罪に問われていない虐殺者たち 

先月9月12日、インドネシア・スマトラ島リアウ州で13歳の少女が警察に連行されました。理由は、着用していたTシャツのデザインが共産党のシンボルマークでもある「鎌と槌」だったからです。共産党に対する嫌悪感が、今なおインドネシア社会に根深く残っている証です。虐殺に関わった人々は、今も罪に問われることはなく、権力の中枢とからんで、社会に大きな影響を与え続けているのです。 

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