特集「チベット仏教の尼僧」(全2本)

◆歴史的に低く抑えられていた尼僧の地位
チベット仏教は、7世紀にインドからヒマラヤを越えて伝来。古代王朝の保護のもとに経典のチベット語化が進み、王朝崩壊後は民衆の信仰を集め、独自の発展を遂げました。僧尼は人口の約20%といわれ、尼僧はそのうちの1割程度を占めています。仏教社会は男尊女卑の傾向があり、尼僧はいくら修行をしても高い地位に就くことはできませんでした。また、席を同じくするときは僧侶よりも上座に座ってはいけない、問答のとき尼僧が僧侶に問う側になってはいけないといった不文律が存在していました。現在ではこれらの問題点を、チベット仏教界全体が共有。ダライ・ラマ法王を中心に改善に取り組んでいます。
 
◆中国政府の弾圧により失われた修行の場
「チベットの解放」をスローガンに始まった1950年のチベット侵攻以降、中国政府は仏教への弾圧を続けています。破壊された寺院の数はおよそ6000ともいわれ、ダライ・ラマ法王はインドに亡命。後に観光資源となる一部寺院だけが修復され、信者は細々と宗教活動を続けています。寺院を追われた僧は出身地に戻り、仏教徒としての修行もままならない環境。当局の僧侶や尼僧に対する思想的な締めつけは厳しく、仏教の学習や修行を行える環境が失われつつあります。ダライ・ラマ法王の支持や、その肖像を拝むことは、公私の区別なく厳禁。子どもは18歳になるまでチベット仏教と一切関わることはできません。代わりに中国共産党が主導する学校に通わされています。
 
◆信仰を守るため尼僧たちが行き着いた場所
1959年、にダライ・ラマ法王がインドへ亡命すると、約10万人のチベット人が後に続きました。仏教をはじめとするチベット文化を守り伝えるための逃避行でもありました。中国の監視が厳しくなった現在でも、年間数十人の僧侶や尼僧、出家を目指す若者たちが、ヒマラヤを越え、インドの亡命チベット人社会へ逃れてきます。ヒマラヤ山脈の麓に位置するラダックやスピティ、ダラムサラなどの町では、随所で僧院や修道院を見ることができます。チベット族だけでなく、地元の人にとっても寺院は弱者救済の場。僧侶になれば食事の心配をせずに勉強に集中できることから、僧院は貧しい農村の子供たちの教育機関としての役割も担っているのです。

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