特集「ヒマラヤの境界線」(全3本)
◆自由な往来と追放 国策に振り回されたネパール人
インドとネパールの国境は、1950年に結ばれた友好条約により、パスポート不要で両国間の往来や物資の交換を容易にしました。一方で境界地域では、身分証を持たない移住者が警察による賄賂要求を受けたり、不当拘束に晒されたりする事態も起きています。対照的にブータンは1985年から「一国一民族主義」の下、ネパール系住民を「非国民」として組織的に追放しました。このときインドは、一旦自国に逃れた避難民を一方通行的にネパールへ送り出し、国境は彼らにとって帰還を阻む障壁となりました。現在も厳しいビザ制度により、追放された人々のブータンへの入国は極めて難しい状態のままです。
◆民族移動の陰でゆらぐアイデンティティ
インドが英国の植民地だった時代、軍事力や茶園の労働力を確保するための移住奨励により、インド北東部やブータン南部に巨大なネパール系コミュニティが形成されました。彼らのアイデンティティは多層的です。インドのネパール系住民は、モンゴロイド系の容姿であることから、ガンジス川流域を標準とする「典型的インド人像」から外れる存在として扱われます。また、中国との国境付近にあるギャロン地域のように法的にはチベット族でも独自の言語や宗教を持つ人々は、主流派からも疎外される複雑な構造の中にいます。国境線が引かれる前からこの地に根を張る人々も、国家の枠組みによって常に「外部者」としての承認を問われ続けているのが実態です。
◆制度の中にあっても脅かされる人権
ネパール人への差別は制度的排除と日常的偏見の両面で顕著です。インドではネパール系住民が市民権を持つ「真のインド人」であっても、人種的ハラスメントを受けることが常態化しています。職場での蔑称や警察の不当尋問は、彼らが社会の中で「二級市民」のように隅へと追いやられている実態をよく表しています。ブータンでは1985年の国籍法改正により、数万人が市民権を剥奪され、拷問を伴う強制退去が行われました。さらに差別はジェンダーとも結びついています。ネパールからインドへ売られる人身売買の被害女性たちは、救出後も社会から「汚名」を着せられ、復帰を拒まれる二重の差別に苦しんでいます。国家が特定の「国民像」を強制し、そこから漏れた人々を「他者化」する過程で、深刻な人権課題が置き去りにされているのです。
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