ドキュメンタリー映画『サラリーマン』 
アレグラ・パチェコ監督が語る、企業による悲しき"殺人現場"

コスタリカ出身の37歳、写真家でアーチストのアレグラ・パチェコさんが、初めてドキュメンタリー映画を監督しました。日本初公開配信中の『サラリーマン』です。なぜ、彼女は、日本の労働者にキャメラを向けたのか。その思いを語っていただきました。



 
路上で酔いつぶれて眠るサラリーマンたち、これが日本の社会なのか!?
 
コスタリカでも、これまで私が住んでいた所でも、スーツを着たまま路上に寝る会社員はいないので、初めてサラリーマンの姿を見た時には衝撃的でした。ラテンアメリカ、もしくは私が経験したことがある国では、路上で寝る人たちはたいていホームレスです。サラリーマンのような社会的な立場がある人ではありません。そんなサラリーマンの姿は尋常ではないのです。そして、私が見ているその光景は氷山の一角で、背景にはもっと何かがあるのだろう、ただ酔っぱらって路上で寝ているだけではないだろうと思いました。そのサラリーマンたちの姿は、私に好奇心を抱かせ、直観的に見れば背後に社会的な原因がたくさんあるのだろうと思い、その原因が知りたくなったのです。さらに、私はこれらの社会力学の相違点と類似点を見つけて、それらが一体どこから来るのかを理解したかったのです。それが私をこの映画の製作に駆り立てました。

 
我々は、路上で寝ているサラリーマンを、何も考えずに見過ごしてもいいのでしょうか?例えば、その背後に何があるのか​​、それが自分の人生、仕事生活、社会全体、そして私たちが毎日、またはグローバルに行う選択にどのように関係しているのかを考えるべきでしょう。そこで、私は2つのことをしようと思いました。1つ目は、人々に観察と疑問を抱かせるように、酔いつぶれたサラリーマンの光景に変化を生み出すことです。その眠っているか、死んでいるかのようにも見える白い粉の輪郭は、殺人現場のような象徴的な写真になり、見た目にも伝わりやすいと思いました。そして2つ目は、視覚的に連想させることで、人々が様々なことについて考えるきっかけになるのではないかと思いました。例えば、過労死のことです。
 
ただ、この映画をとても上辺だけ理解してあまり深く考えない人なら、「ああ、これは日本の過労についての映画だ」ということだと思います。しかし、この映画の本当の内容はそこではありません。これは日本の特異な働き方についての映画ではありますが、極端な労働はどこにでも起こっているのです。しかし、全体的なメッセージとして人々が考えさせられることは、なぜ自分たちのそのやり方で働くのかを問う必要があるということです。そして、それは国や文化を超えた問いだと思います。
 
日本の誇り高き完璧主義が生み出した負の側面
 
日本の文化は、ものごとを完璧にこなすことを美徳としているように感じます。極めて質が高いのです。職人技からコンテンツまで、それがわかります。まさに武士道に通じるような印象です。質にこだわり、忍耐強く、気遣いを大切にしています。そうした考えには大きな価値があります。その特徴が職場にも引き継がれているのだと思います。また、日本が島国だということが集団主義を良しとする哲学につながっているのだと思います。そして、集団主義が個人ではなくグループを重視するようになったことで、必要以上に働く人々が正当化され、企業の利益や価値が優先されていく結果になっていったのではないでしょうか。

私は、今まで「サラリーマン」という言葉を聞いたことがありませんでした。実際に路上で寝ている人々を見て、彼らについて人々にたずね始めたとき、私が得た答えは「ああ、彼らはただのサラリーマンだ」ということでした。それは典型的なサラリーマンの行動のひとつだったのです。そして、サラリーマンという言葉を初めて聞いたとき、私は本当にショックでした。「殺し屋」という表現をご存じですか?殺し屋にはリストがあります。これは仕事をするために雇った人のことを表すアメリカの表現ですが、その人物は重要ではありません。彼らはただ殺しという仕事を実行するだけの人です。サラリーマンはそれと似たような意味合いで、その人が誰であるかは問題ではなく、ただ仕事を遂行しているだけのような意味合いだと感じました。それは、処刑するためにお金をもらっているだけの男のようなものでした。それは少し悲しいことだと思いました。なぜなら、人間はタスクを実行する単なる機械以上の存在だと思うからです。そして、日本や国を問わず、そういう風に人を扱う仕事はたくさんあるような気がします。私には解決策がありませんが、これらのことに目を向けることは重要だと思います。なぜ私たちは今のような働き方をするのでしょうか?私たちの個人的な選択は、私たちの生活にどのような影響を与えるのでしょうか?それが私が映画の中で多くの質問を残した理由です。その答えは人によって様々だと思うからです。



時代や社会と共に変化していく「サラリーマン」という働き方を考える
 
働き方にも世代があって、あのサラリーマンのライフスタイルというのは、私たちの世代の人たちもすごく共感できる部分があると思うんです。もしかしたら私たちに子供ができたり、私たちより若い人たちが社会に出れば、彼らはまた違った形の「サラリーマン」になるかもしれません。例えば、人々はオフィスや自宅でもっと仕事ができるかもしれませんが、常に通信を使っていて、いつでも連絡が取れるため、現場にいることが少なくなっているだけかもしれません。次の世代ごとに、社会構造の変化が新たに繰り返されているように感じますが、つねにものごとに疑問を持ち、少なくとも自分たちがどこにいるのか、そしてどうやってそこにたどり着いたのかを理解するのが私たちの為すべきことだと感じています。それは、私たちがどのように生きたいのか、あるいはなぜ世界がそのように機能するのかについて決めるための、情報に基づいた根拠を持つことです。私たちが映画でインタビューした人の一人が、とても興味深いことを話してくれました。60 年代か 70 年代の学生運動では、批判的思考が非常に重視されていたそうです。しかしそれ以降、学校の試験問題はあらかじめ決められた正解があり、他の解答はすべて不正解となる選択式の解答になったというのです。それは、今日までの日本社会の機能に大きく関係しているように感じられます。
 
私たちは人生のほとんどの時間を仕事に費やしていると思います。なぜ、どのように働くのか、どのくらいの時間を仕事に費やしているのかについて自分自身に向けて問い直す必要があると思います。 その仕事が私たちにとって充実しているかどうかということをです。多くの人にとって、そのような問いをする余裕はないかもしれませんが、少なくとも、政治家や官僚、企業の経営者や幹部などは考えるべきだと思います。世界に対して、私たちの命に対して、私たちの家族に対して。そして、時間をかけてでもよいので、考え、行動することが重要だと思います。教育から見直すことも良いスタート地点となるのではないでしょうか。

人々が疑問を持ち理解できるようにすることで、どうやって私たちがここにたどり着いたのか、私たちがどこにいるのか、そしてどこへ向かっているのかを知ることができます。私は選択式の試験問題について反対すべきだと思います。もっと批判的な思考を推し進めるべきだと思います。批判的な分析です。個人的な利益のため、そして社会の必要性のため、生活の質のため、他者への思いやりのためです。私たちの時間、人生の時間は限られています。これらすべてを考慮すれば、生活の質を向上できるかもしれないと思います。今の時代、現代社会のネガティブな側面について取り上げるのは難しいことではありません。しかし過去の時代と比較すると、現代の生活が私たちにもたらした恩恵はたくさんあることにも気づくべきでしょう。つまり盲目的な成長と生産性ありきではなく、正しい問いに焦点を当てれば、私たちは今でも自分自身のためにより良い生活を創造することができるのです。
 

監督インタビューVol.01 アレグラ・パチェコ

アレグラ・パチェコ|Allegra Pacheco
1986年コスタリカ生まれ。2012年スクール・オブ・ビジュアルアーツ(ニューヨーク)写真学科卒業後、2014年にウィンブルドン・カレッジ・オブ・アーツ(ロンドン)を修了。写真、絵画、ドローイング、インスタレーションなど様々な手法で作品を展開する。
 
2012年、コスタリカの移民地区であるラ・カルピオで厳しい環境下で働く女性と共同で制作された胸の形をしたソフトスカルプチャーによるインスタレーション『Boobs』を開催、2013年には、バッカーズ・ファンデーションとNPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ(AIT)の招聘により、東京でのアーティスト・イン・レジデンス・プログラムに参加し、山本現代で二人展を開催すると共に、GALLERY MoMo Projectsでは、コスタリカでのプロジェクトを東京で再構成し『Boobs in Japan』を開催した。その後、LAMB LONDON(イギリス・2015)、Vienti4/siete Gallery(コスタリカ・2018)で個展。作品は、日本のプライベートコレクションに収蔵されているほか、Fundacion Massaveu (マドリード)にも収蔵されている。
https://www.allegrapacheco.com/


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