特集「チベットの記憶」(全12本)
◆中国共産党の弾圧から逃れた亡命政府
中華人民共和国は1949年に建国。その直後からチベットへの侵攻が始まりました。中国人民解放軍は1950年にはチベット東部のチャムド市に、翌年には首都ラサへと進軍し、チベット全土を制圧。中国に併合され、主権を失いました。人民解放軍はチベットに駐留。チベット人による抵抗運動は弾圧され、多くの市民が虐殺の対象となりました。1956年に始まったチベット人の武装反乱により、増員された人民解放軍がチベットの村や寺院をも攻撃。1959年、ダライ・ラマの拉致を計画したものの、同年3月にダライ・ラマはインドへ逃れ、チベット臨時政府(現チベット亡命政府)の樹立を宣言しました。
◆マルクス主義により破壊された宗教文化
マルクス主義者の毛沢東が建国した中国では、宗教は統制の対象です。1966年に始まった文化大革命では、宗教は徹底的に否定され、チベットでは寺院や文化財の破壊の他、仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりといった弾圧が行われました。20世紀後半だけでも、6000以上の寺院や僧院、尼僧院が破壊され、貴重な彫像や宗教的な美術品は略奪・売却されました。また、120万人以上のチベット人が非業の死を遂げています。現在のチベットで、僧はダライ・ラマ批判を強いられ、ダライ・ラマの写真を所持することが禁じられています。規則を破ると僧院から追放され拷問を受けることになり、僧院が閉鎖されることもあります。
◆弾圧を乗り越え、後世に伝えるべきチベットの心
中国によるチベット弾圧は今も続いています。子どもたちはチベット語ではなく中国語を教え込まれ、寄宿学校ではチベット文化を否定する中国式の価値観教育が行われています。若者はチベット語を話す能力を失ってしまい『漢民族化』が進行。チベットの伝統的な生活文化や宗教観など、さまざまなものが失われつつあります。仏教はチベット文化の核であり、周辺国も含めた多くの人々の精神的な支えでもあります。亡命政府や個人の亡命者など、故郷を追われて分散してしまったチベット人をつなぎ止めているのもチベット仏教です。民族のアイデンティティともいえる宗教文化を後世に伝えるとき、映像の持つ意味は大きいでしょう。
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